昔のアルバムから

ここでは、昔の久慈の写真や興道舘に関係する写真を紹介します。

久慈町長久寺(現・久慈市新井田)にあった晴山療院。弊社顧問の祖父・晴山福一郎が昭和3年に柔道整復術試験・マッサージ術試験に合格し開業しました。

マッサージ術営業免許鏡札

柔道整復術営業免許鑑札

長久寺にあった晴山療院の庭は、盛岡から庭師(藤村氏)を招き、造られました(昭和5年頃)。

戦後から平成24年まで久慈市中の橋通り(現久慈市十八日町)にあった晴山整骨院。元々稲荷屋敷と云われ、昭和40年代の都市計画による道路拡張まで、稲荷神社が祀られてありました。

晴山整骨院(時代・場所など不詳)。後列左が弊社顧問の祖父。

岩泉町・栄橋たもとにあった晴山整骨院分院。右側が弊社顧問の父(昭和30年代)。

洋野町出身の力士「柏戸」(後の伊勢ノ海親方)。戦前、久慈農林学校武道教師を務めた弊社顧問の祖父(後列中央)の教え子で地元後援会長を務めました(久慈農林では柔道と相撲の指導をした)。

久慈渓流小唄・久慈湾小唄のお披露目のために盛岡から招かれた盛岡芸奴と作詞・作曲者らと。後列中央が弊社顧問の祖父(昭和6年頃)。

弊社顧問の祖父が考案した晴山式新案骨格模型。模型は岩手県代表特産物となりました(昭和8年)。

晴山式骨格模型作成にあたり、石黒英彦岩手県知事から贈られた書

晴山君の霊の栄ゆるを見てことほぐ 

一心こり(里)て 神に合す 

紀元2593年1月 英彦

柔道の神様と謳われた三船久蔵十段と弊社顧問の祖父との模範試合(昭和27年)

馬のくつわ額(久慈市大川目町山口八幡宮に奉納)

椛沢秀夫氏(顔彩画創始者)による晴山整骨院(平成24年)

興道舘晴山道場開設挨拶状(昭和28年5月)